絶滅と保護の狭間で

北海道の蝦夷鹿は、乱獲と餌不足のための大量死が原因で、明治21年、ついに捕獲禁止の命令が出るまでの頭数に激減しました。明治政府はすでに絶滅危機対策を施したわけです。その後、この禁止令が解除されたり、再度発布されたりと、頭数を見ながら絶滅の危機との戦いが続きました。

昭和に入り、1957年、人家付近に出没し、作物を荒らす被害が頻繁に報告されるに至って、一部分、狩猟を認めました。それでも1990年代に入ると、頭数が爆発的に増え、市街地に出没して、作物を荒らすだけでなく、道路で交通事故や線路で列車にはねられるなどして死亡する個体が急激に増加してきました。北海道内の蝦夷鹿生息数は2010年には64万頭とも。

人間と蝦夷鹿との共存は、今後まだまだ試行錯誤しなければならないようです。しかし、頭数の増加は何としても歯止めするしか方法がなく、ただ捕獲したり撃ち殺すというだけでない、別の方策が求められるようになりました。